【ご質問】記憶していることが記憶違いと言われます。
期間限定記事です。
ご質問を要約させて頂きますと、数年前、ある人から冗談半分のような形で土下座を強要され、多くの人の前で屈辱的な思いをした経験があります。その出来事は、今でも心に残っています。
最近になって、その屈辱的な出来事がずっと引っかかっていたため、当時の出来事を多くの人の前で話す機会がありました。しかし、その場には当時のことをよく覚えている人もおり、私がそのように土下座をした事実はなかったと言うのです。
そこで、当時のことを知っている他の人にも確認してみたところ、やはり「そのようなことはなかった」と言われました。
周りの人の話によると、私は以前、土下座をしていた身近な女性の話をしており、その出来事をとても屈辱的に感じたという話は聞いたことがあるそうです。
少し分かりにくいかもしれませんが、要約するとこのような内容です。
ご質問者様は、長い間「自分が土下座をした」と思い込んでおり、その思いを晴らしたいという気持ちを抱えていたようです。
(このようなことは、ご相談者様の中にも時折見られますが、スピリチュアルでは他の問題に着目していきますので、リーディングから事実とは異なるのではないかと思っても、あえて取り上げることは御座いません。)
なぜこのようなことが起こるのか(本当に私の記憶近いなのか)といいますと、多くの場合、未消化の感情(幼少期からのものも含まれます)が十分に処理されていないことが関係している場合があります。
脳科学では、人の記憶は固定されたものではなく、思い出すたびに組み立て直されていくといわれていますが、スピリチュアルでも同じです。
たとえば、目の前で誰かが土下座をする場面を見ることは、とても強烈な印象として残る出来事です。そこに強い感情が伴うと、その感情に合う形で記憶が補強されていくことがあります。
また、人は記憶を少し誇張して覚えてしまったり、無意識のうちに自分の感情や解釈に沿った形で出来事を再構成してしまうこともあります。
ここでいう「理想」とは、自分の思いや感情に合う形で出来事が色づけされていくという意味です。
記憶の再構成と感情による記憶の強化
今回のような内容は、未消化の感情があり、身近な人の「土下座」という出来事が強い印象として残り、その記憶が長い時間の中で何度も反芻されていくうちに、屈辱的な感情が強く引き出され、「自分が土下座をした」という形で記憶が固定化されていった可能性が考えられます
このような時は、ご自身の中にある「何かで心の穴を埋めようとする思い」に触れていることがあります。